2018.8.12 加筆
                                               2018.8.12 加筆

 尾開山は、中世の修験者や津軽藩の戦術師山鹿一族の修練の場だった、といわれている。また、弘前城築城の際、尾開山一帯の木材が使われた、と伝えられてい る。山頂近くの一帯は、クリの巨木が多い。弘前市石川地区では昔、クリを共同で拾い、収入の一助にした、という。ふもとの清水「お茶の水」は、県指定の 「私たちの名水」。尾開山から周回して名水「桂清水」通り弘南鉄道利用も楽しい。尾開山登山口から50mほどは普通の登山道と少々の階段で降車。以降は広く整備された「東北自然道」で、「桂清水」手前の一部道路は雨後、水たまりあるかも。今回は弘南鉄道大鰐線「いしかわ」に車をデポ。時計回りで「つがるおおさわ」から2区間・運賃270円(自転車無料)でサイクルトレインを楽しんだ。山中の案内標識は生々しい熊の噛み跡多く、笛を吹きながらの単独行でした。

2018.8.12 加筆
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こちらは登山専用です
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 本県にスキーが入って間もない1919(大正8)年。スキーで弘前市大沢から堂ケ平山を越え、大鰐町折紙地区に抜けたパーティーがあった。リーダーは、本 県でのスキー普及に尽力した油川貞策大尉だった。おそらく、本県における山岳スキーツアーの第1号とみられる。同年1月28日付の東奥日報はそのときの模様を次のように伝えている。「歩兵第五十二連隊は油川大尉の指導で将校五人が一週間スキー術を練習。熟達したため一月二十五日、弘前中学教諭一人を含む七人で山越えを計画した。午前七時、連隊に集合。堂ケ平山山頂までは雑木の密林で苦労。また下りは急斜面のため斜滑降で慎重に滑り午後十一時半、折紙地区に 着いた」                                        東奥日報社刊 村上義千代著「あおもり110山」より